心よりご冥福をお祈りいたします

ヤクルトスワローズのファンである。子供の頃、父が頭がおかしいとしか思えないほどの巨人ファンだったので、そのアンチとしてヤクルトスワローズファンになったのだ。だって、東京にはプロ野球チームが2つもあって、どちらもセリーグなのに巨人の陰に隠れて目立たなかったし。ま、そんなしょうもない理由でファンになったのでした。


巨人ファンの父のおかげで、野球は本当にたくさん見に行った。シーズンシートも持っていたし。でも後楽園球場だけどね。
テレビの中継も、プロ野球ニュースも、毎日見た。なので、ヤクルトスワローズファンなのに、妙にその頃の巨人の話に詳しいのが悔しい。
キャンプインすると春が来るとかそういうのも巨人ファンの父の刷り込みだ。


当時からのヤクルスワローズファンなら同じだと思うのだけど、「勝ったらラッキー」そんな球団でした。キナ臭い話とは無縁だけど、勝利や優勝とも無縁なチームだった。それが、広岡監督3年目ですよ。優勝したんです。初めてなんですよ、これが。この広岡監督時代はマンガ「がんばれタブチくん」でも散々描かれてます。


で、その後は元の負けるチームに戻り、勝てることを忘れた関根監督時代になるわけです。


ファンも選手も負けてもダメージがないそんなところに、野村監督です。
勝つと楽しい、負けると悔しい、そんな当たり前のことを思い出させてくれたのです。
常勝だなんて言われるようなチームになる日が来るとは思っていませんでした。


ここ数年は、また関根監督時代とまではいかないけど、いまいち不安定で優勝と最下位の両方がぶら下がるようなチームですが、常勝チームと呼ばれた記憶があるからこそ、勝てるようになりたいと思えるのだと思う。


今は、野村監督時代に常勝チームにいた選手がスタッフやコーチや監督になっていて、あのキラキラしていたシーズンを思い出す。野村監督の愛情や教えや考え方を、体ではなく頭脳で戦い、それを次の世代に時代の流れも加味して渡せるか、これがうまくできないと、またあの負けても痛くないチームになってしまう、そういう瀬戸際なのだ。


野村監督時代に、いい思いをたくさんさせてもらった。勝つって楽しいって思い出させてくれた。亡くなられて悲しいけど、きっと野村監督の想いは、いろんなところで種となり育ち実っていくことで、ずっと生き続けていくのでしょう。
派手な選手じゃないけど、記録にも記憶にも残る野球人だと思います。


願わくば、古田をもう一度なんとかして行って欲しかった。古田にはユニフォームをもう一度着てほしい。本人は着たくないのかもしれないけれど。ヤクルトじゃなくてもいいから、野村監督の教えをベースに、古田の戦いっぷりを見たいんだ。

 

今年は、高津だ。野村監督時代のヘソの選手が監督だ。監督も、コーチも、いい投手じゃないか。期待したいぞ。