質感とか、触感とか


CDや本を買う時にはもうほとんどがAmazonでの購入になってしまってる。

便利である。

真夜中でもいつでも気になったら検索してぽちっと押すだけで

留守中の家に配達されてしまうのだ。

便利であるのは疑いようもない。

それでも、本はまだ本屋で買う事もある。

本屋という空間をぶらぶらするのが好きだし、

検索では出会えないものがあるから。

本屋はまだ町中に特に意識せずとも存在しているので

そういうことが可能だが、

これがCDショップ(昔風ならレコード屋さん)となると

もう、激減である。

店がないんだから実店舗でぶらぶらしながら買いようがない。



この前、Amazonで売り切れていたため、久しぶりにCDショップに行った。

ミニタワーレコードとなっていて、本当に小さな店舗で

しかもその小さな中で洋楽の占める割合が恐ろしく狭い。

お目当ての物はすんなり購入することができましたけども

この洋楽の狭さったらなんじゃろ?ってくらいの狭さでした。




タワーレコードと言ったら、私は渋谷の東急ハンズの斜め向かいにあった

最初の一歩を思い出します。

あの空間の中の輸入盤特有の匂いと、縦型のプラスチックのケース、

これでもか!というほどロックにまみれている店内でした。


あとは、渋谷だとCISCOだね〜。

それと六本木のWAVEはヨーロッパ盤を買いに行きました。

昔は1ヶ月に40枚以上は購入していたので

半端ない音楽まみれな生活でした。

さすがに最近は1ヶ月に5枚ぐらいですけどね。


データを購入することはほとんどないです。

やっぱり「物」として所有していたい気持ちが強いから。

だからどんどん増えていってしまうというのは分かっているんだけど

それでもやっぱりジャケットのページをめくったりしたいじゃない。

家ではCDプレイヤーとアンプとスピーカーをつないで聴きますよ。

もちろんiPhoneにも落として聴くけれど。



音楽を聴くのはレコードを買ってきて封を開けて

プレイヤーにセットし、針を落として、ジャケットや歌詞カードを

読んだり眺めたりしながら、スピーカーの前に座って聴く

という一連の動作の中にあったんだよね。

それが全部良いわけではないし、データの時代を否定するわけではないが

そういう動作というか、所作を忘れたくはないな、と思います。



久しぶりにショップに行っていろいろ考えてしまったんだが

買うにもあんな品揃えじゃ、結局Amazonに戻ってしまうよなぁ。

店があちこちにあればはしごして探すこともできるけど

どこに行ってもきっとないだろうな〜と思えてしまうんだもん。

店員さんの力のこもったPOPを読んで購入してがっかりしたり、

おぉ〜〜!と思ったり、なんてことも楽しかったんですけどねぇ。